結婚指輪を譲り受けました。
先日、両親から結婚指輪を譲り受けました。
うちは既存の日本の結婚制度に疑問を持つ立場なので法的に籍を入れることは考えていないのですが、ものとしての指輪を前にすると、なにかと訴えてくるものがありますね。
ひとまずサイズを直してあたくしがつけています。端的にとてもおもしろいです。
こういう出来事がどこまで一般的なのかはわからないのですが、考えてみれば宝飾品というものは、資産や儀礼の役割を担いながら受け継がれるような性質をもっています。
あたくしが物心ついたころから両親はどちらも指輪をつけることのない夫婦でしたが、指輪を受け取ったことで彼らが確かに交わした約束、あるいは思想のようなものを引き受けているかんじがします。
指輪そのものは、単なる小さな金属の輪でしかないし、それが大きく生活を変えるようなことは決してないのだけれども、見方によってはほんとうにささやかな「革命」のようにも思えます。
つまり、ある個人が指輪をつけるなんていうことは、それ自体で大きななにごとも起こしようがない。でも、だからこそ非常に強い意味合いを見出すことができる。
それは「結婚」の主張かもしれないし、なにか個人的な決意の表明かもしれない。あるいはあたくしのように、親から何かを引き受けた結果としての行動かもしれない。
外から眺めたときには計りようもない意味合いが小さな行為に込められること、そのありようは「革命」じみているな、と思います。ものにはコンテクストがあり、行為はそれを引き受けることでより強く、センセーショナルな出来事になります。
あたくしには、そうしたささやかで誠実な出来事が、とても尊いものに思えます。
少なくとも、こうしたことを書こうと思えるほどにはこの小さい輪から影響されて、手を動かしている。それだけでもとてもおもしろいことです。