暇をもてあそぶ日々
あたくしは暇であることを殊に大事にしています。
それも、いいかんじに暇であることをよしとしています。
どのくらい暇をしているかというと、せんじつ「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」のプレイ時間が130時間を越えました。
人生ははちゃめちゃにたのしいです。
暇って、一般的には「あ~なんか暇だなあ、楽しいことないかなあ」みたいな、手持ち無沙汰な状態がイメージされがちですよね。ふつうは、こういう何にもやることがない時間なんて「つまらない!」と思うひとも多いんじゃないでしょうか。けれども、やるべきことに追われまくっている日々にもしんどさを感じたりする。
ひとってままならないわね。
つまり「暇」に対して、ひとはおおむね「退屈」しているし、暇じゃなければ「忙しい」と思っている。
もうちょっとあんじょうよくいかないものかしら。
あるいは、何かに没頭していて時間をも忘れるときは「充実している」と感じることもあるでしょう。それはそれで素敵なことかもしれないけれど、熱中するということ、それ自体への危機感があたくしにはあります。
自分自身をだますことなしに、目の前のことに熱中し続けることなどほんとうにできるのだろうか?
あるいは、熱中そのものに熱中しないことができるほど、ひとは賢くいられるのだろうか?
ひとってほんとうにままならないわね。
だから、暇とのつきあいかた、ほんとうに大事だなと思うんです。
暇を消し去っても、飲み込まれてもいけない。よき隣人として、いつまでも付き合っていかなきゃならない。
そういうわけで、ここ数年は、たぶん、ふつうよりは暇の割合が多い日々を生きてみています。暇をつぶすでもなく、もてあますでもなく(そういうときもあるけど)、「暇をもてあそぶ」日々。
具体的に何をするでもないけれど、やってみるぶんにはたぶん、暇は多いほうがいい。たくさんあってもてあましそうになる暇を、つぶすことなしに遊んでみるのは、なかなかの難題です。(たのしいです)
暇とのおつきあい、みなさんはどうしているかしら。