大石麻央 MAO OISHI
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大石麻央は、羊毛フェルトを用いた彫刻作品を作っている作家です。
極端に細い人形の頭部に、動物のかぶりものをかぶせた作品が代表的です。
ひたすらに針を刺してつくられる人形の作品群は、決して現実に存在するはずのない幻想的なイメージを誘発しながらも、ユーモアあふれる姿をしています。明らかに羊毛の質感があるのにもかかわらず、ほんとうにこんな人物や、風景があるのではないかと錯覚してしまいます。
大石の作品は、「人は人を好きになるときにどこで判断するのか。」というコンセプトでつくられているといいます。だから、動物のかぶりものをめくれば、その下にはちゃんと人間の顔があります。そのように、あくまで「かぶりものをしている」という状況にこだわる彼女の作品は、見た目や、人種や、性別や年齢といった条件を覆い隠そうとすることで、私たちの心の中にある無意識のレッテルを顕在化するようです。
私たちは生まれながらにして、さまざまな属性を持っています。男であったり、女であったり、髪が黒かったり、金色だったり、背が高かったり、低かったりします。生きている限り、そうした属性をまとうことからは逃げることができません。私たちが人を好きになるとき、そうした属性以外の、果たして何を好きだといえるのでしょうか?
人形がかぶりものをかぶっているという状況が大石の作品の特徴の一つですが、彼女は同時に、実際に人間が着込むことのできるスーツも制作しています。人間がそのスーツを着た姿は、ほとんど人形と見分けがつきません。そのため、スーツを着た人が動かずにじっと立っていると、どれが人形なのかわからなくなってしまいます。
羊毛フェルトで覆っただけで、人形と人間の違いはほとんどなくなってしまいます。大石の作品を見ることで、私たちはそれほどまでに見た目に依存して生きているということに気づかされます。
以前、私も大石の制作したスーツを着てパフォーマンスをしました。人形たちと一緒にじっとしていると、鑑賞者たちは人が入っていることに驚くほど気が付かないものです。たとえそれが、どんなに好きな相手だったとしても、かぶりものをかぶったままの姿では気付いてさえもらえないでしょう。その意味では、大石はかぶりものというツールの力を最大限に利用しているともいえるかもしれません。
とても大好きな人形と、とても大好きな人と、その二つの違いはどこにあるのでしょうか? つい、そんなことを考えてしまう作品たちです。
※大石麻央の作品についてのお問い合わせや、お仕事のご依頼は仮面屋おもてまでお気軽にご連絡ください。
大川原脩平