仮面BARをやりました。
仮面をかぶってお酒を飲んだらちょっとおもしろいんじゃないだろうか? そんな思い付きから、さくじつ仮面BARというイベントをお試しで開催してみました。いろいろと感じたことや、今後の展望などについて書いておこうと思います。
銀座のこじんまりしたBARをお借りして、仮面の持ち込み歓迎・貸出もするという形式で行いました。平日夜、3時間の短い開催であったのですが、あまり宣伝をしていなかったにもかかわらず、それなりにお客さんにも来ていただき、始終楽しげな雰囲気で開催することができました。
あたくしはもともと演劇で使う仮面についてあれこれ考えてきたので、これまであまり仮面を「パーティでかぶる」ことや、かぶったまま「いつも通りふるまう」ことなどについて実践する機会がありませんでした。あらためて、このように仮面をかぶったまま過ごしてみると、おもしろい発見がたくさんありました。
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第一に、仮面をかぶるとお酒が飲みにくいです。
当たり前すぎるくらい当たり前の話ですが、通常、仮面というのは顔を覆い隠すようにできているので、ハーフタイプのものでも鼻が長かったりして、とにかく口にモノを運んだりするのに適していません。また、舞台のように自分がトランス状態になったりする場合はよいのですが、平常な意識で仮面をかぶり続けるのは、やはりけっこう苦しいものです。呼吸もしにくいし、蒸れるし、視界も狭いです。長時間の使用では、目の周りの部分だけを隠すアイマスクタイプが圧倒的に楽であることがわかりました。ストローなどがあるとお酒は飲みやすいこともわかりました。
それから、これは仮面に限らないことですが、やはり共通のツールがあると初対面のお客さん同士でも会話がはずむことがわかりました。今回は、こちらで用意した仮面をとっかえひっかえみなさんでかぶってもらったのですが、そうした行為が交流を生んでいたようでした。また、逆に仮面をかぶることで無口になり、周りに流されずひとりでお酒を楽しんだりするのにも有効なツールであるように感じました。
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仮面をかぶりつつも、なにかになりきるわけでもなく、ちょっとだけいつもと違う気分でお酒を飲む。こういった体験はあたくしにとってとても新鮮に映りました。そして、こうした仮面の使い方について、もうすこし掘り下げて考えるべき必要を感じました。
こうした仮面の使い方は、ある意味で「ごっこ遊び」の一形態なのではないかと思います。「ごっこ遊び」といっても、模倣する形態が具体的に何かあるわけではありません。しかし、仮面をかぶることで、セルフイメージがすこしだけ揺さぶられ、まさに「何になるのか」ということが知らず知らずのうちに選択されているように感じました。
たとえばベネチアンマスクをかぶることで、すこし妖艶な雰囲気になってみたり、口元を覆うマスクをかぶることでちょっとだけ無口になってみたりします。仮面は、本人が意識するかどうかの、ほんのささいな身体の変化を生み出し、周りがそれを助長するのです。それはほんとうにささいな変化であると思います。しかし、その「ちょっとだけ」を大切に感じることが、とても重要なことなのではないかと思いました。それは自分自身に気づくことであるし、周りが要請している「自分」というものを意識することでもあります。
こうした気づきと、それに続く行為とは、たとえば新しいリップを塗ったり、それを褒められたり、次に買う色を選択したりすることとほとんど同じことなのではないでしょうか。あたくしたちは、そうした中で自分の仮面を選ぶことで、何になろうとして、自分をどうしたいのでしょうか。
仮面BARを通じて、そのように、自分が何を選択するのか、どのような「自分」を演じるのか、といったことで、ひとは毎日を遊んでいたり、悩んでいたりするのではないかな、といったようなことを思いました。
ともかく、催しそのものはひたすら楽しかったので、今後もたびたび開催しようと思っています。ぜひ、次回はあなたの選んだ仮面でお越しくださいませ。