おどることのたのしさとかただしさについて。

ちょっと、腰が痛い。

どうして痛いのかというと、年明けに、舞踏家としてここらでもうひとふんばりしようかなどと思いたってしまったがために、からだのトレーニングを再開しているから。まいにち動いていると、痛みとともにからだが動くようになったり、汗をかくと爽快感がともなったりして、こうしてひとはからだを動かすということの快感にとりつかれてしまうのだなと思います。そしてこうした快感というのは一面ではすばらしく、また一面では恐ろしいものであるなあとも感じています。

あたくしは昔からそれほど運動が得意だったというわけではなく、どちらかというと運動が嫌いで、太っていたし、根暗でした。学校の体育の授業は好きでも嫌いでもありませんでしたが、チームプレイが苦手で、誰かと一緒に何かを成そうという気などはまったく起こりませんでした。まして部活をやろうという気などはまったくなく、帰り道に創作漫画を空想しながら(実際にペンをを握ったことは一度もなかった)地面をけって歩くのが好きといえば好きでした。

舞踏に出会ったのは、正直にいって「これならあたくしでもできそうだな」と思ったからであるし、それはある意味で正しかったと思います。生来の怠け者のあたくしは、とかくスポ根がだめで、いまでも学生に大声を出して指導する現場などを見ると、身が縮こまる感じがして、どうにも苦手です。

考えてみると、あたくしの舞踏の師匠にはそういうところはまったくありませんでした。というより、踊りに関して特に何も教えてくれなかったし、稽古なども、一切つけてもらった記憶がありません。ただ、昔の自分がおどった写真などを見せてくれて、これはいつどこでおどったやつであるとか、そういうことをつらつらと話すひとでした。

こういうことを書くと、ほんとうにあたくしは舞踏家なのかしらんという気持ちもわいてこなくもないですが、たぶんそういう子を許容してくれたおおらかな気分ものみこんで「舞踏家です」ということを許されたからこそ、あたくしはここにいるのだなあというかんじがします。

運動というか、踊りを始めたのは高校生になってからで、アニメーションダンスの奇妙な動きにあこがれたからです。それも、バク転などに挑戦する勇気はなかったから、腕をくねらせている人を見て、これなら根暗のあたくしでも家でひっそりと練習ができるに違いないと思ったのでした。(ちなみにのちにバク転などのトレーニングもしてはみたものの、いまだにいまいちです。)

家でひっそりとできるということは、なににもまして当時のあたくしには大事なことでした。音楽やなにかは家で練習していると、とてもやっていることがまるわかりだし、恥ずかしくて続けられませんでした。たぶん、部屋の中でどたばたやっていたことは両親などにはまるわかりだったのでしょうが、そうしたことはなぜか気にならないたちでした。

そうしてどたばたやっていると、だいたい爽快な気分になるし、たのしかったのです。なんの理由もなくからだを動かし、汗を流すことはほんとうに理屈抜きにひとに楽しさを与えたりするんですよね。こうしたことは、たぶん体育の授業なんかでも同様だったんだと思います。

だからこそ、そういう楽しさというものはすぐに周りに伝えたくなるし、ともすれば「やったほうがいい」なんて、善意の押し付けになりがちで、一面で恐ろしいなあなんて、今では思ったりします。

ひねくれているんだろうか。いや、正しさは強すぎるので、そのくらいでちょうどいいとおもうんですよね。

たぶんいまも、とくに運動が得意でもなく、芸術に大した興味を持つこともなく、なんとなくゲームとかをして進学を考えたり考えなかったりしている若い子がいるのだと思います。それで、そういう子がひょんなところからおどりを始めたりすることもあるのだと思いますが、そのときに感じた爽快な気分や、確かにたのしいかんじをぜひ大事にしてほしいと思ういっぽう、それだけが正しさにならないように気を付けてほしいな、なんて思います。

まあ、たのしいことはたのしいし、あたくしもいまだにおどってるんで、たのしく続けるうちはぜひそうしてほしいと思うんですよ。ただ、あたくしにとって大事なことは、やはり家でひっそりとできるということで、そうした営みにすぐ価値をつけたがったりしないで、気長に付き合うのもいいものだよなあ、というはなしでした。

けっきょく、ひねくれてはいるのかもしれない。