単純で、複雑な話がしたい。

このところ、大人数での会話がとても窮屈だな、と感じるようになりました。

 

はじめましてのひとと、面と向かってお話しする機会は多いほうだと思うし、交流に際して別段大きな障害があるわけでもない。けれども、大人数などといいつつも、3人以上で話をする段になったとき、すでに息苦しさを感じている自分がいる。なんとまあ、繊細な心をもって生まれてしまったものね。

 

3人以上でひとが相対するときには、どうしても全体のリズムが、あるいはそれを整えることが目的化してしまいがちだな、そういう危機感をいつも感じます。それは、高度であると同時にひどく単純化されたリズムで、いってしまえば平均化された情報の交換にすぎない。きっと、必ずしもそうではない交歓ができるかたもいるのかもしれないけども、いつも、あたくしにはちょっとだけ難しい。

 

もちろん、2人で話すときだってそう。気持ちのいいリズムにあわせてべらべらと会話を続けることはさして難しくないけども、その楽しくも空虚な時間のありようといったら!

2人で話す、というよりも、ひとりに向けて話すということ。そして、向こうから何かを受け取ろうとすること。あたくしにとっては、そのくらいのほうがシンプルでいい。

つまり、目の前にひとりの相手がいる。そのひとと対峙して、言葉や、からだ、リズムや文脈などをひとつずつ確かめ合うこと。たぶん、そういうことをもっと大切にしたいな、と思うようになったんじゃないかしら。

 

その「確かめ合い」は、ほんのすこしの邪な気持ちですぐに瓦解してしまう儚い交流だとも思います。けれども、そうでもなければあたくしたちは、どうしてわざわざ会って、話して、同じだと思える時間を過ごしているのか。

 

じっさい、そのようにして目の前のひとりと交流することはとても疲れます。できれば簡単に、流れに身を任せてお互いにべらべらと喋りたい気持ちもないわけではない。けれども、そういうことを繰り返し繰り返ししていることが、少しずつ自分自身を削り取っているような感覚にも陥ったりする。

心地いいだけのリズムは自分を麻痺させていきます。