洗濯バサミにファッションはあるのか?

先日、仮面屋おもてで開催した鷲見友佑個展「spin」が終了しました。ふだんは弊店にばらばらに立ち寄る美術関係者・ファッション関係者・あるいは下町の人々がいっぺんに来場するめまぐるしい5日間が終わりました。

 

鷲見友佑は武蔵野美術大学のファッション専攻をでたばかりの人物ですが、会場にあらわれる人びとの多様さに、彼への強い期待をかんじました。同時に、ファッションというものについてすこし頭を巡らせたのでここに書き留めておくことにします。

 

 

仮面屋おもてはどう考えても「仮面屋」なのですが、訪れるひとによってみえている世界がまるで違うんだな、ということをよくかんじます。それは、仮面屋というものを既存のカテゴリの枠内に収めようとするときに、ひとそれぞれの立ち位置によって入れる場所が全く異なるということなのかもしれません。

 

たとえば、仮装趣味のひとにとって仮面屋は「仮装アイテムを扱っているお店」になり、スタイリストにとっては「ヘッドピースを調達する場所」になります。また、美術に通じたひとは「仮面専門のギャラリー」として仮面屋をみる場合もあるし、ひとによっては「民間のアートプロジェクトの一つ」にもみえるようです。

 

あまりに雑に「それらぜんぶ仮面屋だよ」ということもできるし、常に曖昧さを内包することでぎりぎり何かを保っているような気もします。ある空間に対する見方として多様な視点が生まれることにはそれなりに肯定的ですが、そろそろ落ち着きたい気持ちもあることにはあります。

 

 

これまではヘッドピースの製作などをしていた作家ですが、今回の展示に出した作品はまるで身に着けることのできないオブジェクトたちでした。ファッションと美術の合間に立ちながら、不安定な足場を自らの手で組み上げていくしかない彼の立ち位置は、まるで仮面屋のようだなと感じます。(ちなみに、今回の展示は彼の持ち込み企画です。)

  

ところで、身に着けることのできない彼の作品への感想として「彼はファッションの人間だね」といった意見が多いことには驚きました。いろいろな立場のひとが彼の展示に感じた「ファッション」というもの、いったいなんなんでしょうか。

 

以前、ファッションブランドHATRAの長見さんのtweetを引用してこんなふうに発言したことがあります。

 

 

「ファッションのトレンド」といういいかたをよくしますが、多くの場合、そうしたトレンドは商業的な力によって生み出されています。あるファッション(多くは服飾の)をトレンドたらしめようとするベクトルがあり、それを享受することがそのひとの態度の表明そのものとなる。

 

そう考えると「流行の」あるいは「自分の好きな」服に身を包む行為と、そのひと自身の身体のありようの狭間にできる態度そのものが「ファッション」なのじゃないか。人間に完全にはフィットしない布の形を、自らの身体でもって享受し、自身の態度の表明とすること。こうした手続きが服飾には必ずある気がする。

 

星の数ほどあるファッションブランドには、個々に、そのブランドの服を着ることによって「世界に対する我々の態度を肯定せよ」と迫るような力があります。それは身に着けることではじめて現前する「態度」の拡散であり、世界に対するブランドそのものの具体的なベクトルとして機能している。ファッションの「ありかた」とはきっとそういったものなんじゃないだろうか。

 

今回の展示では、溶解した洗濯バサミをカラーコーンの皮膜で覆ったオブジェクトが壁一面に陳列されていました。気軽に触れることもはばかられる見た目の作品でありながらも、あくまでフラットな享受のしかたを要請する作家の対応によって、常に鑑賞者は作品を「着こなす」手段を求められていたように見えました。

  

つまり、フィットしない布として提示される彼の作品に対し、それを着こなそうとする鑑賞者の態度があらかじめ想定されていたということなんじゃないでしょうか。あたかもハイブランドのセレクトショップのように。

 

  

それは必ずしも身に着けることではないけれども、たんに見るということでもない。作品を「クールだね」といったとき、作品が、展示が、その空間との関わりをファッションとして享受せよと訴えてきていたのじゃないか。こうした強いベクトルの機能が、先の「ファッションの人間だね」という応答へとつながっているような気がします。

 

 

もちろん、ひとの行為がファッションだろうがなんだろうが、(ある意味では)そんなことは些末な問題でしかありません。ただ、ひとの立ち位置というのは、思った以上に繊細な足場で組みあがっている場合もあるのだな、と思います。

 

それが強固であることが必ずしも良いわけでも、悪いわけでもありません。けれども、たまには足元に目をやってみてみると、何気ないバランス感覚に驚くようなこともあるんじゃないかしら。 

 

案外、自分の体幹の強さに驚いてみたりして。