「仮面が顔にフィットしない」という誤解

仮面を売っていると、「顔が大きいから、仮面が合わないんです」とか、「ちょっと鼻のところが当たるのでつけられないですね」などということをよく言われます。

 

こういう言葉を聞くたびに、仮面に関する根本的な誤解があるなあ、という気持ちが湧くんですが、同時に、仮面やマスクといったものの射程をあまりに広くもっている弊店の問題でもあるなあと思います。

 仮面やマスクといった周縁のもの、かなり雑に「全部マスクでしょ」とかいえちゃうし、実際にあたくしがそういうやつだと思われている節もあるんですが、さいきんはちょっとそういう風に思われちゃうのはまずいのかなという気がしています。とはいえ、仮面やマスクといったものを厳密に定義する「わけにもいかない」。あくまで曖昧なものの、大きな枠組みとしての仮面というものに対する誤解は、ある程度といていきたいなと思うわけです。

 

というわけで、たまには仮面のはなしでもしよう。

 

大前提として、仮面が顔にぴったり合うわけがないんですよね。それなりに硬質な素材で作られていて、デザインがリアルな人間の顔でもないのだからフィットするはずがない。人間のからだに合わせてつくられる洋服とは、そもそも根本的な考え方が違うんですよね。

たとえば能面などは、時として何世代にもわたって同じ面を使い続けたりするわけですが、いくら血統とはいえ顔かたちがまったく同じではないですよね。では仮面の装着者はどうするのか。一般的には「顔に合わせる加工を施」しつつ、「自分の顔を仮面に合わせ」ていくものです。

 

加工に対する基本的な考え方はどの文化でも似たようなものだなと思います。面自体が柔らかい素材でない限りは、裏側に柔らかい素材を当てて、顔への当たりを中和します。頭巾や衣装などがそういった役割を果たす場合もありますが、お化粧用のパフや、スポンジなどを面自体に張り付けることも実は普通に行われています。そうすることで硬質な装着感が変わり、仮面との一体感も生まれます。

 

また、当たり前ですが能楽師や仮面の踊り手は単に仮装パフォーマーではないわけです。仮面を装着しても、馬子にも衣裳のような状態では目も当てられない。つまり、それなりに見えたとしても衣装だけではなく、存在としての仮面といったものが立ち現れなければいけないわけですね。

ですから仮面を装着する人々は、身体そのものを仮面に合わせていきます。それは自分自身の顔についても例外ではありません。仮面の顔に自分の顔を合わせていくという考え方なんですね。身体ではなく、あくまで仮面が先にある。身体を変えていく行為というものは、時として厳しい訓練を伴うものです。そうして時間をかけて仮面に身体を馴染ませていくことで、はじめて仮面として「立つ」ことができるようになるわけです。

 

もちろん、衣装や単なる仮装としての仮面もあるし、そもそもファッションの文脈から生まれたマスクもあります。あるいは、手慰みに仏像の顔を彫ったらそれは仮面でしょうか。そうしたいろいろな仮面やマスクの個別性、独自性、違った文脈はたくさんあるでしょう。けれども、あくまで一般に、仮面というものが顔にぴったり合うのかというと、それはやはり合わないものなのだといえるんじゃないでしょうか。