カラスがおどってた

せんじつ、勅使河原三郎さんの舞台を見に行ってきました。

勅使河原三郎さん、知ってるひとは当たり前のように知っている、世界をまたにかけるダンサーですが、人類規模では知らないひとのほうが多い人物ですね。(すべてのひとがそういう立場なのだろうか?)

 

 

あたくしはダンスの魅力について話をするとき、ミュージカルをよく例に出します。ミュージカルは、要所で歌とダンスが織り込まれるお芝居の形態ですが、いい感じのダンスによってストーリー上の葛藤や矛盾などをすべて引き受け、なんとなくよさめにまとめ上げる力を持っています。

たとえ人類規模の問題が解決していなくても(していても)、とりあえず皆が歌いダンスをすることによって時間が過ぎ、エネルギーの発散が行われ、なんやかんやで世界がまわっているということが示されるのがミュージカルの特徴です。

 

こうした見方は、端的にダンスの魅力を表しているし、同時に危うさも示してくれます。つまり、ダンスは世界を確実に更新はするが、なにごとも変えることはない単なるエネルギーの発散であるということも事実としてある。ダンスとはそういったものだと思います。

 

そうした気持ちでダンスを眺めていると、おどることが愛しくも恐ろしくも感じます。精緻な動きによって構成される存在感と躍動。しかし、はたして彼(自分)がおどっていることは一切の無駄ともいえるのではないか。

まさに、その葛藤や矛盾すらも引き受けておどってしまうダンスをしてみたいものだとも思いますが、そんなことを考えている間にもからだは動き、ダンスは続いている。ほんとうになんやかんやで世界はまわっている。

 

こういう態度がダンサーの悪い部分だな、と思いつつも、そうした態度を選択するからこそのダンサーでもあるわけで、まあ、おどるしかないよなってことではある。

何がいいたいのかというと、勅使河原さん、めっちゃおどってた。(ことし65歳ですよ)